普段、人のすまない極地を除いて(夏が暑い)のは、古今東西を問わない。
「モスクワ? あんなところ二度と行きたくない。地獄だよ! 若い頃、一度行った事があるが、ありゃ、人の住むところじゃないな」と男はテレビの取材に答えた。
彼が答えたのは共産党支配による諸問題についてではなく、気候についてであった。
彼はシベリアでトナカイの放牧に従事しており、モスクワの暑さ(?)は、彼のお気に召さなかったようだ。
そう言えば小学生の頃、教科書で見た写真は私にとって驚きであり、不思議であった。
そこに写っていたのは、一面雪と氷に覆われた北極圏の、ある池(温泉ではない)で、大人や子供が水浴をしている場面であった。しかも母親らしき女性はフロの縁に腰掛けるように雪の上に腰をかけていたのだ。「エスキモーの水浴」と書かれていたように記憶している。
バンコックでエージェントになってもらっていたウーさんが、いつものようにホテルに迎えにきた。なんと! 彼は毛糸のチョッキを着ているではないか。驚いた私は「どうしたのよ! チョッキなんか着ちゃって!」と聞くと、彼はすまして、次のように答えた。
「あんたがた日本人には暑いだろうけど、私達タイ人は30度を切ると寒いよ」と震えて見せてくれた。彼にとって毛糸のチョッキが必需品である事を、その時はじめて私は知った。
これも、そう言えばと言う話であるが、ジャカルタで日本人向けのカラオケバーに入った時の事である。
インドネシア人の青年がマイクを離さない。「ケッ、格好つけやがって!」と言うのは、彼の歌いっぷりについてではない。ジェロとは比べようも無いが、そこそこにうまかったように思う。我々が文句をつけた格好とは、そのときの彼の出で立ちである。ロングの皮のコートの前を開け、首にはこれも長いマフラーをぐるっと一度巻きつけ両側にたらすと言う、当時日本ではやったスタイルであった。多分政府の高官か、金持ちの息子で、日本への留学経験があるのだろう、と言うのが我々日本人4人の一致した推測であった。
しかし、彼にとってはそれが(ウーさんのチョッキのように)丁度良かったのかも知れないと今にして思うのである。
さて前置きはこれくらいにしておいて、本題に入ろう。
「夏は暑い」と言う主張がかなり相対的である事は、前置きでお解かりになったと思う。
にもかかわらずやはり「夏は暑い」のである。
私が問いたいのは「では? あなたは、その暑さに、どのように対処するのか」と言うことである。
避暑地に別荘を持つ・エアコンを稼動させる・図書館や映画館で過ごす・水泳をする・冷えたビールや清涼飲料水を飲む・・・などの対処法(?)が考えられる。
私の質問の仕方も悪いのだが、これらはすべて対峙法である。
人間にとって都合の悪い自然現象に立ち向かおうとする、悪しき西欧的思考法に過ぎない。
西欧的思考法とは「運命に立ち向かおうなどと傲慢な事を考える、お粗末な人間の思考法」の事である。それを人は「意思」などと言い、英雄のごとくもてはやす。
「何故、あなたは運命に立ち向かおうなどと愚かな事を考えるのか」と言う、いささか粗雑な事を恥じながらも質問をしなければならない。
それは「運命の概念」が合意、確定されていないからである。
私にとって「運命」とは「死」だけであるが、人によっては不可知論的運命を主張するものもいるので、ここではこれ以上述べないで置き、話を本筋に戻そう。
私は暑い夏にどのように対処するのかと、聞いてしまった事を悔やんでいる。
つまりその質問が「何もしない」と言う選択肢を諸氏から排除させてしまったのではないかと危惧するからである。
賢明な方は前置きだけで理解されたのだと思う。
バンコックのウーさんにとって、30℃は基準点なのである。それは暑さ、寒さなどと言う大雑把なものではなく、暖かいか涼しいかと言う繊細な分岐点なのだ。
事実を見つめれば、日本人はこれを体験的に受け入れ可能なもののはずである。
今日は曇っているせいもあって涼しい、それもかなり涼しい。
寒暖計を見ると25℃である。この25℃がどのような気温であるのかはお解かりのはずである。
気象庁はこれを「夏日」とした。
なぜ、これほど涼しいのに「夏日」であるのか。
おそらく50代以上の方にはお解かりだと思うが、昔の25℃は暑かった(?)
30℃などと言うと気が狂いそうになるほど暑かった。
エアコンなど無かった時代、寝苦しい夜を凌ぎ、寝不足を解消する方法は只一つ、「疲れきる」ことである。
夏休みなどは幾分涼しい午前中に勉強を強制され(?)、その反動が応援してくれて、午後は川やプールで遊びまくった。肉体的疲労による睡眠欲より強力な食欲を満たした後は、もはや暑さなどは睡魔の敵ではない。その頃、午後九時と言う時間は私にとって深夜であった。午後八時から始まるNHKの徳川夢声の朗読「西遊記」を最後まで聞く事はとうてい不可能な事であった。
このような事実が語る事はただ一つである。
「暑い夏を受け入れよ、受け入れればそこに道を見つけることが出来る」のである。
暑ければ涼しくすればよいなどと馬鹿げた考えが余計に暑くさせている事に気付かない。
「運命や自然に立ち向かい、それを切り拓く」などと言う考えが、いかに馬鹿げたことであるのか。
またその考え(認識)がいかに今日の混迷を招いているのかについては、近々に取り上げるつもりである。
明日から始まる洞爺湖サミットに何かを期待するのは大馬鹿者のすることである。
日本は原油価格の高騰に一喜一憂する必要はない。なぜなら日本は価格競争力において決定的に優位に立てる術を持っているからである。小ざかしい二酸化炭素排出権取引など受け入れるべきではない。それは何の解決をももたらさないからである。


by iza104
やがてやって来る「新しいステ…